
これは、ある新聞記事の切り抜きです。ちょっとした話題になったので、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
まずは、目を通してみてください。
親の気持ちをうまく表現してくれたなぁ...と思います。
親は大事に、大事に子どもを育てます。将来のことを考えて、心身の健康を考えて、できるだけ良い情報を集めては、"よかれ”と思って、子に与えていきます。
かつての私もそうでした。
生まれたばかりの我が子は、ひと言でいえば[無垢]で[純粋]。身体に良くない添加物を与えたくなくて、有機栽培の米や野菜、離乳食はすべて手作り、スナック菓子など与えたことなく(あとで聞いてみると、祖父母からお菓子はもらっていたようですが。。。笑)、テレビもほとんど観ず、児童館へも行かず、ご近所の親子と自宅の前にある公園でゆっくりゆったり過ごし、週末はハイキング兼て田舎へ出掛ける....そんなのんびりとした時間を過ごしました。とにかく[キレイに][清らかに]育てたいと思っていたのです。
そんな気持ちが崩壊したのは幼稚園入園後です。いろいろなお子さんと接して、神経質になっていた自分に気が付きました。3人の子を産んだ友人が「3人目なんて離乳食は作らなかったわよ~。家族の食事をちょっとお湯でうすめて、刻んだだけ。それでも大丈夫だったわ~」という言葉にハッとしました。
『努力』というものは、本来自分のためにあり、子のためではないんですね。実は子供への期待や希望に対する努力、つまり結局は、自分のための努力なのでしょう。
一方、子どものための努力はものすごく難しい。『見て見ぬふり』『手を出さず、口を出さず、本人に任せること』『転んでもすぐに起こさず、自力で立ち上がる姿を見守ること』母親にとってはD難度の技です。
結局、私は子育てにおける衣食住は何かの考えに囚われることなく、自由気ままをモットーに。「~をしたほうがイイ」という考えを捨て、「~をしたい」という思いを選択しました。
あれから10年以上過ぎ、我が子は高校生。もう、何事も本人の意思で決めるようになったので親の思いなど無意味な年代になりました。
昨年流行したテレビドラマ、『ぎぼむす』(義母と娘のブルース)の一場面に、娘の高校卒業を前に、ママ友同士で「もう、母親業からの卒業ね…」というシーンがありました。あぁ、私の母親業の卒業はもう間もなくなんだわ...と涙。
我が子は我が子。私は子どもにとって母親であることは生きている限り変わりませんが、(母親業)となると、もうすぐ終わりに近づいています。
子どもが自分の意思を持ち、自分で考え、自分で決める。そこに親の出番はなくなります。どのように生きるのかも本人次第。ときに失敗をすることもあるでしょうがそれも人生。七転び八起きで大いに結構。
すべてが想定内、思い通りに行くはずなんてない人生ですから、そんなハプニングを楽しめるように生きて欲しいと願うばかりです。
母親業の卒業とともに、私自身から手を引く覚悟はできています。
それは、我が子を信頼している証であるとともに、私自身を信頼していることでもあると信じています。
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