緊急事態宣言が発令されて2週間が経ちました。
昨日、やむを得ぬ用事で約1か月ぶりに電車に乗りましたが乗降者数が世界でベスト3(ベスト20はすべて日本の駅なんですって!)の池袋駅の構内がとても静かでとてもビックリしました。お子さん連れを一人も見なかった!
テレビなどでは、一部の観光地で相変わらず多くの人が出ていると指摘されていますが、実際には多くの人が自粛に協力している様子を実感しました。平日の日中の山手線はガラガラです!
それぞれの事情を抱えながら私たちは頑張っているんですよね…。(その努力を褒めてくれい!笑)
地域包括ケアシステムなどに代表されるように私たち市民の中に在る利他の精神を触発して核家族化と少子高齢化で社会が抱える問題を地域力や市民力で解決していこうと推奨されてきました。当会も、子育て中のママの孤立をどうにか防ぎたい、安心の場を作りたいという思いで活動を続けています。特に3.11の経験によって人と人との繋がりの価値が一層大切であることを実感し、「絆」や「繋がり」が求められました。
ところが、ある時を境にその繋がりが一転してしまいそうで、なんともいえないもどかしさを感じます。
ソーシャル・ディスタンスとは感染拡大を防ぐために(物理的な距離を保つこと)です。あくまでも「物理的な距離」なのですが、それがどんどん人の心に伝播していかないかすこし心配です。
新型コロナウイルスは地震や災害と同じく、誰を責めることもできません。
ですが、行政から自粛を要請されるようになると、よりいっそう「感染しない、感染させない」という思いが、それぞれの立場で捉え方を変えて、なんとも寂しい事態もあちらこちらで起きています。
感染者が謝罪したり、非難されたり、
体調を崩しても、人に言えずにいたり、
感染者の多い地域の人たちが差別されたり、
感染リスクの高い職種の人が差別されたり、
それらは正義感という名のもとに発せられたりしていて、
その人の持つ(命を守りたい)という大切な思いでもあるわけです。だから、抗議するつもりはないのですが、
『自分の見方がすべてではない』
つまり、ココサポ・プログラムで言われている、「人にはフィルター(物事を捉える際の意識)とマップ(物事を捉え方、価値観)の違いがある
ということを少しだけ頭に入れてもらえたら、たぶん、どちらかが悪いとジャッジできるような勝負事ではないということに気づくはずです。
とくに、仕事上においてソーシャル・ディスタンスを守りにくいところもあります。また、感染の危険と常に隣り合わせの現場で働いている方もいます。
こうした人たちが「だれかに感染させる危険のある人」だと差別することはけしてあってはならないことです。なぜなら、そんな差別をする人も無症状感染者であるかもしれない。どこで感染してももうおかしくないほど感染経路不明の人たちが増えてしまいました。今は、逆に医療施設のほうが感染症対策をしっかりしているので、街中よりもマシなのかもしれません。行きつけのスーパーがクラスターになったとしたら、もし、そのスーパーにちょうど昨日買い物に行っていたら…まさしく最もハイリスクな人は自分になるはずです。…そのように状況によって、捉え方が180度変わるような事態がなんども繰り返し起きていく…
「昨日の常識は今日の非常識」の世の中です。
ですから、肝心なのはどんなに状況が変化しても変わらないものは何か?ということを忘れないことではないでしょうか?
それらもたぶん、一人ひとりの思いによって異なるでしょう。
でも、それでいいと思うのです。みんな同じではないのだから。
そして、その違いを互いに認められたらいいのではないでしょうか?
ソーシャル・ディスタンスという物理的距離を保つことに対する一人ひとりの意識や捉え方の違いが、心の距離までも広げていかないように、普段とは違う日常を送っているからこそ意識を持って生活したいと思います。
違いは距離ではない。
違いはあっていいのです。
今、取るべき距離は「物理的距離」だけです。
その代わりに、心の距離は離れないように保つ方法を…。
…ということで、ココサポ・プログラムに参加してくださった方でLINEチャットを始めました。
自粛要請が解除されるにはまだまだ時間がかかりそうです。だからできることを一つずつ…でスタートしたのです。
結果、とても良かったです。
そのまま、再開の日まで待つこともできましたが、やはり、こうした不安定な時期だからこそ、繋がっていることへの安心をつくること、そして、そう簡単に言えないことを言える場があること、が、当会の目指すところだと思うからです。
ココサポ・オンラインサロンも準備中です。
少しずつですができることを増やしていきたいです。
ソーシャル・ディスタンスは仕方ありませんが、
心の距離は安心という長さを保っていきたいです。