コロナ禍で身の危険を冒しながら多忙を極めている方々がいらっしゃる中でこんな話をするのはとても失礼だと承知しながら、自分のことをお話しようと思います。
私の場合、3月からの自粛生活で手に入れたのは『時間』でした。
それは、これまでの私にとってはご褒美みたいなものでした。
私は昔から友達に「泳ぎを止めないマグロみたいだねぇ…」と言われていました。確かに、時間や物事をたくさんつめこんで自分をとことん追い込むことで(私はここに生きていい)という許可を与えていたように思います。
現在はそんな生き方をやめて、自分がしたいことに集中する「今」を楽しんでいます。
だからなのか、そういう自分になっていることをはっきり実感できたのが、このコロナ禍でした。
多分、以前の私だったらこのコロナ禍は大きなストレスになったはずです。なのに、今回はご褒美に感じられたのですから…(意外でちょっと驚きでした)
以前の私とは何が大きく違っていたのか?と振り返ってみると、
・外界・他人から入ってくる情報をコントロールできた
(テレビのワイドショーやインターネットからの情報など、さまざまな情報があふれる中で、不要なものはハッキリ切る!ことができたから)
・自分はどうするか?自分は何をしたいかで行動できた
(周りの人の行動に左右されず、自分の気持ちに素直になってやりたいことをして、やりたくないことはしなかったから)
この二つが、私にとっては大きいです。
不安が多い世の中だと、その不安を払拭しようとかえって不要な情報までも掴み取りがちです。
ありがちなのは(コロナ禍)にからめた情報です。衣食住から始まって思想的なことまであらゆることにからめてコロナ禍に遭わないために「こうしましょう」「ああしましょう」という情報がたくさん出回ります。
そういうことにいちいち敏感になってしまうと、結果として
「じゃ、どうすればいいの??」という不安と迷いの堂々巡りに陥ってしまうかもしれません。
なぜなら、あまりにも「いろいろ言いすぎ、いろいろありすぎ」だからです。
このようなことにならないように、自分が欲しい情報の【目的】をはっきりさせて、その目的に合致することだけを選択すればいい。
その選択の基準は、「自分のアタマで考える」ということ。そうすれば振り回されずに済みます。そのために自分の意思(ココロ)が肝心なのでしょうねぇ…。
つまり、今回のコロナ禍は、私たちにとって「自分のアタマとココロに問う」訓練をしたと思えば、世界規模の学習機会を得たわけです。
あの人がこう言っていた。
この番組でこう言っていた。
・・・そんなことに振り回されない。
「私見」は個人的な意見、見解です。
発する本人のものであって、すべての人に通用する者じゃあない。
ということを念頭に置いて、
必要なもの、不要なものを、自分のアタマとココロに問うて選ぶ…そんな作業の訓練をしていると思えば、ありがたい機会になるのではないでしょうか?
…という私だけの「私見」です。笑