今年、新しい(おたのしみ)に出合いました。
それは『さをり織り』。
今年の私の誕生日に、夫が体験チケットをプレゼントしてくれました。もともといろんなものを手作りすることが好きなので選んでくれたのでしょう。
体験チケットはいろんな手仕事のワークショップが載っていてそこから好きなものを選ぶのですが、迷いなく『さをり織り』を選びました。というのも、私は子どものころからはた織りに興味があったからです。
『さをり織り』は織機を使って自由に好きな色の糸を選んで織るものです。
難しいきまりはなく、すべてに失敗はなく、非常にフレキシブルで、初心者の私でもそれなりに織り上げることができるのです。
体験でトキメイて、次は少し大きなものに挑戦し、今度はこの冬に使うストールを織る予定です(笑)。
ただ無心になって、心の思うままに糸を選び、ただただ織り上げていく作業。目の前に在る美しい縦糸の並び。そこに自由に選んだ横糸を織り込んでいき、徐々に布に変身していきます。
中島みゆきさんの『糸』を心の中で歌いながら…パタン、パタンと。
糸の絡み合いは、まるで自分自身のように感じてきます。
縦糸もいろいろな色や素材があって、そこに自分の意思で横糸を織り込む。…どんなに同じ糸でも、どこを見ても同じ個所はありません。縦糸の色と横糸の糸が交わって、風合いや色合いも微妙に違います。
ときどき、うっかり織り込みにミスをしても、そのまま「織りすすんでいい」のです。それはそれで結果として独特の風合いが生まれます。
ここで気づいたのは、『自分が思い描いた通りにいかないことはある』けれどそれは『失敗ではない』ということです。
きちんと織り込んでいるつもりでも、縦糸の一部を飛び越してしまったりして、織りあがって裏面を見ると横糸に絡んでいない糸がタラリと垂れ下がっている部分を発見したりします。「あぁ、ここ、間違えた!」と思ってしまうのですが、オモテ面を見るとそれはそれで綺麗だったので気づかなかったのです。
結局、それは失敗ではないのです。
失敗を恐れる気持ち…というのは、
実は、「失敗をしたくない」ということそのものより、失敗したことによって起こる(かもしれない)自分以外の人の反応や環境を自動思考によってイメージしてしまうことを自分の思いよりも優先していることなのかもしれません。
つまり、失敗そのものは実は自分では大して問題にしていないものの、それを指摘・批判する誰かがからの声が聞こえてきたり(意識の中で)、誰かの信念価値観が伝わってきたり(自分の信念価値観だと思わせるようにジワジワと)、遠い過去にインプットされた思い込みなどが、『失敗はよくないこと失敗してはならない』という思考回路へスイッチがオンされてしまうのかもしれません。
自分の意思で糸を決め、自分の手で一つ一つ丁寧に織り上げた布は、どんなものよりも愛着があります。
周りの人が、この布をどう思うかなんてどうでもいいのです。
私が、私の布に対して愛しいと思う・・・それだけです。
この布は、私の人生。
そう思うと、私自身はどの時代を切り取っても「愛しい」と思える。
ミスのない完璧な織り目ではなく、凸凹があったり、織り飛ばしがあったり、ゆがんでいたり…ワタシという人間の味わいが出ているからこそ面白い。そういう布が大好きです。
私は、そういう凸凹の風合いが大好きなんです。
人の魅力とは、なんでもできて優秀で完璧という部分ではなく、その人の素直なそのままが伝わってくるときに感じるものなんだなぁ…。
と思いました。
そして、布・・・は人を温めます。