学ぼう会のおかもとです。
私はSDGsやダイバーシティなど、現代に掲げられている課題の啓発に仕事で関わっているのですが、そこで世の中の変化は私が大胆に予測している以上にスピードアップしていることを実感します。今日は、このことについて少しお話したいと思います。
ダイバーシティ(多様性)は文字通り「個人や集団間の違い」で、当然のことなのですが、人は自分だけのオリジナルの物事の見方でしか、世界を認知する手段がありません。(このことについては、ココサポ・プログラム ベーシックで学びます)
私にとって「多様性の理解」とは、自分の見方を軸に、自分の見方では届かない部分まで想像力を広げて考えていこうとする姿勢なのではないか、と考えています。ですから、最も大事なのは『想像力』だと思います。
多様性の理解をテーマに掲げると、どうしてもマイノリティの存在が取り扱われます。それは、従来の世の中は、圧倒的にマジョリティ優位だったからです。そういう社会の中で生きていかなくてはならないことを、まずは学校生活で経験することになるでしょう。よくある『多数決』と言われるものです。多数派に従っていかねばならない、ということを子どものころから教育されている、というわけです。集団生活では、所属する多数の人たちに統一した決まり事を設けるために、仕方のないことなのですが…。
そのような世の中の仕組みを私たちは子どものころから経験しているのですから、マイノリティはマジョリティの陰に隠れて、ひっそりと辛抱強く生きるしかありませんでした。ところが、ここ数年で急にダイバーシティの考え方が登場し、啓発され、マイノリティが表舞台に登場するようになりました。これは、自分との大きな「違い」について実感をともなって理解するきっかけになるはずですし、そうなって欲しいと思います。
私は、多様性の理解は、多数or少数なども関係なく、『ひとりひとりが違う』という大前提をもっと強調してよいのではないかと思います。一つの出来事に、それが「正しい」か「正しくない」か、「良いこと」か「悪いこと」かジャッジを決めてかかってから議論されるのではなく、「こういうことがありうる」ということから、さまざまな見方を『想像する』という心の活動を増やし、その中で、自分の味方の立ち位置を捉える、という方法がもっとあっても良いのではないか、と。この活動で必要なのが『想像力』です。
物事の見方がひとりひとり違うように、生まれ育った家庭や今に至るまでの経験は本人でしか分かりません。しかも、人の性格や気質も違います。ですから、他人の言動について自分の価値判断で良いか悪いかというジャッジをしても、それは正解や正論ではなく、いわゆる「私の個人的な意見」でしかありません。正解や正論だと思い込み、批判に終始する姿勢に疑問を感じます。(かくいう私は、かつては、自分の価値観や正義感でジャッジして「間違っている」と思ったことに文句タラタラ…ということもありました…(-_-;)
先日、とても素敵な言葉を伺いました。
『優しい想像力』です。
この言葉に触れて「あぁ、これ、いただき!」と思いました。
個人主義が進み、SNSの普及で、責任を回避したネガティブな発言が飛び交うあまり優しくない社会の中で、『優しい想像力』という言葉は一筋の光のように感じました。
『優しい想像力』を発揮するには同時に、境界線を持つ必要があると思います。なぜなら、優しさを大事にする人たちにとってとても生きづらいのも、この世の中の現実です。
想像力を働かせながらも、自分と周囲との線をしっかり引いて、受け入れられることと受け入れられないことをはっきりさせる力も必要です。でないと、優しさと傷つきやすが同居してしまうからです。
これからの時代を生き抜くには、太古の昔に最重要だった生命力だけではどうも難しいものがあるように思います。どちらかというと精神力、心の力のほうが重要になっているような世の中です。
子どもたちの健やかな成長を願いながら、心の力をどのように育んでいったらよいのかいろいろな方法で提示していくことが、私の今後の大きな目標のひとつです。その中で、『優しい想像力』は重要なキーワードになりそうです。
さて、ココサポ・プログラムでは、ここでお話ししたような、自分と他人の物の見方の違いについてや、境界線を確立するスキルを学びます。これらのスキルはこれからの時代を生きる子どもたちに身に着けて欲しいと思いますが、まずは、お母さんたちがその力を手に入れることが大事だと考えています。