ココサポ・プログラム ベーシックが始まっています。
今回、私はココサポ・プログラムのベースとなっているNLP(神経言語プログラミング)という見地から、脳の働きについて意識をしながらワークショップに参加しています。
もう、何度も、何度も、主催者として同じプログラムに参加してきましたが、毎回収穫することが違います。その違いは、自分の変化によるものだったり、捉え方を変えたことによるものだったり、参加者の皆さんからの刺激によるものだったりします。
とても面白いですし、勉強になることばかりです。
いろいろな分野で活躍されている方にお会いして、その方のこれまでの歩みをインタビューする仕事を6年余り続けました。
そこで、最も強く感じるのは、「人はひとりひとり、何かしらの使命をもって生まれてきている」ということです。会う方ひとりひとりに独特の彩りがあります。ひとりひとりの個性と人生の歩みの中から、その人だけのかけがえのない時間と縁が生まれている、ということになるのでしょう。
自分一人の経験だけでは見出せない、ご自身が語るさまざまな人生の一片を伺うことができたからこそ、見えるものがあります。これは、私にとってはとても有難い経験でした。なぜなら、私は「人」についてとても興味があるからです。
話を変えます。
『発達障害』については、みなさんご存じかと思います。日本で『発達障害』が知られるようになったのは1990年代ごろからですが、2004年に発達障害者支援法が制定されると、教育や社会福祉の課題になりました。発達障害の中でも詳細な分類がされるようになると、診断が下らずとも「性質として非常に近い」ものとしてグレーゾーンという言葉も登場しました。
科学技術の進化で、人の人体としての生理学的な分類がされるようになり、遺伝子までもが読み解かれています。
それらによって、これまで治療困難だった病気が治せるようになったり、あらかじめ予防できたりするようになることは喜ばしいことですが、人を細かく調べ上げて分類することが、その人にとって本当に望ましいことなのだろうか…と、時々、思うことがあります。
なぜなら、人が特定の基準で分類されるということは、「●●である」とラベリングされる、ということになるからです。
ラベリングされると、人はそのラベリングされた者として生きていくしかなくなるような…そんな怖さを感じることがあります。
「自分は臆病だから…」と言い続けている人がいました。
初めて体験することに対して非常に大きなストレスを感じ、ネガティブな感情からの出発なので、思い通りにいくことが少なく、結果として、さらに神経質で不安を抱えるようになってしまうことが増えました。
この人は、幼いころから親や周囲から「臆病」や「怖がり」と言われ(ラベリングされ)てきました。ですから、臆病ではない自分など考えられないまま大人になりました。
「自分は傷つきやすいから…」と、新しい人間関係に飛び込むことを避ける人がいました。
この方は、幼いころにトラウマになってしまうような出来事に遭い、一時的ですが、心身に不調を訴えることがありましたが、温かい担任の先生のおかげもあって回復し、ごく普通に学校生活を送っていました。やがて、中学生になり、三者面談で親が担任の先生に「この子は傷つきやすいので…」という話を聞いて、「やっぱり自分は傷つきやすいんだ…」と確信してしまいました。以来、現在に至るまで、なぜか「自分を傷つける人」と出会う縁を繰り返しているように見えます。
これも、もしかしたら「傷つきやすい」をラベリングしてしまったのかもしれません。私から見ると、傷つかない自分は自分じゃないとさえ思いこんでいるように見えてしまいます。
分類によって、その分類について知らない人に理解を促すには有効な方法ですが、特定のラベリングは「そう生きる」という刻印のような恐ろしさも感じてしまいます。
人は変化し続けるものだと思うのですが、その変化を止めてしまうかもしれない。ラベリングによって、そのように生きるしかない、というような…。
ここは、とても難しい問題です。