『お母さん』を学ぼう会のおかもとです。
先日、大学生の方々から当会の活動についてインタビューを受ける機会がありました。地域事業について学んでいるとのことで、その中の一つの取り組み事例として当会を知りたいとのことでした。
『お母さん』を学ぼう会は立ち上げから11年が経ちます。今回の機会によって、立ち上げの経緯や当時の思いなどを聞かれて、久しぶりに会の活動についてじっくり振り返る時間を持つことができました。
せっかくなので、当会の活動やココサポ・プログラムへの参加に関心がおありの方に向けて、その思いをシェアさせていただこうと思います。
会発足当時は、私は『自分の学びのため』という理由が大きかったです。もともと、社会教育会館で開催された子育て講座で知り合った仲間と、継続的に学び合う機会をつくるために作った会が『お母さん』を学ぼう会です。
当時の私は、『子育て』がちゃんとできるか、できているかとても不安でした。なぜなら、自分の生まれ育った環境、しかも子どもという立場での実体験としての「子としての育てられ方」だけしか知らなかったからです。
同時に、子育てというものは本で学ぶことはできないということは経験則で感じていました。十人十色の子供、そして、ひとつとして同じものはない家庭、そのような中で決められたセオリー通りに行うことはできないし、ノウハウに従ったからといって人の反応、環境の変化が本に書かれてあるのと同じであるはずはないと思っていたからです。沐浴の仕方、離乳食の作り方、おむつの変え方は本に書いてあることそのままできても、我が子をひとりの人としてどのように育てていけばいいか、なんて、その方法はどこにも書いてありません。
ならば、どうしたらいいか?
その疑問に応えてくれたのが、『お母さん』を学ぼう会だったように、今は思います。
親にとって、子育ては「子に対して何かする」のではなくて、親自身が「自分に対して問いを向け続ける」ということだったということを強く思います。
当会がずっとこだわっている「共にお母さんに成りゆく過程」を大切にするために、「お母さん」であることについて考え続けることが当会の活動の目的であると考えています。ここにある『共に』は、ひとりではできません。当会に来てくれる皆さんと経験や思いをシェアしながら一緒にすこしずつお母さんに成っていく・・・ということを大切にしたい、強く思っています。
子どもを持つと、独り身だったときとは全く違う思考が生まれます。『子育て』となると、自分の我が子へ向ける思いの中に、なぜか自分の生育環境が強く影響します。とくに、この影響は“感情”に表れます。
頭では冷静でいたいのに、
つい怒ってしまう(イライラしてしまう)。
どうしても心配してしまう(不安になってしまう)。
つい厳しくしてしまう(焦ってしまう)。
などなど・・・。
大人の自分の頭では、自分と我が子は別の生き物であり、尊重すべき相手であることが分かっているのに、感情はなぜか混乱してしまう。
・・・そんな部分が、子育て不安を生んだり、お母さんの自己嫌悪を引き起こしてしまうのだと、私自身の経験上からも思うのです。
『お母さん』を学ぼう会のココサポ・プログラムは、もともとお母さんが「家族のカウンセラーになりましょう」というコンセプトで始めたものです。実際に、このスキルが手に入ります。が、このスキルは結局、「自分が自分のカウンセラーになれる」ということも実感できます。
自分を否定せず、自分の声なき声に耳を傾けるという作業は、想像以上に自分自身を癒し、助けることになります。私自身は、長い時をかけて自分自身の育てなおしをしてきた感じがします。
どんな声も受け止める・・・は自分自身を心から信頼しなければできません。
もし、その信頼に対して不安があれば、その不安を取り除きます。
・・・そんな作業をしながら、自分の中に出てきた(ホワイトな自分)も(ブラックな自分)も参加される仲間の皆さんの前に吐き出すことができます。
そうして、ようやく自分自身を心から信頼し、頭の中の自分と感情とのギャップを取り除き、ゆるぎのない関係を構築するのです。
自分自身への信頼を獲得すると、なぜか不思議と、子どもや周りの人たちへの信頼も素直にできるようになります。
・・・こうなると、無駄な感情に振り回されることがなくなります。
冷静に、善意の第三者として、広い視点を持って捉えることができるようになります。
結果として、自分自身に対しても、子どもへの対応も軸を持つことができるので、自分も子供も安定してきます。
ですから、ココサポ・プログラムはノウハウではありません。参加される方が自分自身に向き合う尊い時間です。
そうやって、共に「お母さん」・・・もとい、「大人に成りゆく」ことを経験していきます。
ときどきですが、まだ、お母さんになっていない方も参加されています。
いろいろな方との出会いと、思いのシェアを通して、自分自身を見つめなおすことができる貴重な時間です。
だから、『共に』なのです。
話は最初に戻ります。
大学生の方々のインタビュー後、感想として
「子育ては一人で抱えなくてもいいこと、周りにサポートを求めていいことが分かりました」と学生さんが話していて、わたしは、それが伝わっただけでもう大満足でした。
私は、人に対して「ダメだし」だけはしないことを決めています。
が、「何事も一人で抱えてはいけない」ということだけは、心から思っています。
助け、助けられ・・・の循環が社会ですし、その循環の中に自分の身が置かれています。
自分ひとりで完璧にできることなんて何もありません。
ですから『共に』なのです。
我が子と同じくらいの歳の学生さんたちはとても可愛い。
もう、まるっと親心です。
よい経験でした。