こんにちは! 学ぼう会のおかもとです。
お健やかにお過ごしですか?
8月が終わります。厳しい暑さもあとわずか。少しずつ秋に向かって進んでいきますね。
今日は最近すこし気になっていたことを書こうと思います。
例えば、人生が、仕事が、人間関係が、家事が、育児が…
なんでもいいのですが、
質問です。
Q1: うまくいっていなければいけませんか?
Q2: 他の人はうまくいっているひとばかりだと思っていませんか?
その答えは、実際に一人ひとり聞いてみなければ解らない、と思われるかもしれませんが、「はい、うまくいってますよ!」とお答えの人も、果たしてそれは本当に???
つまり、こういうことです。
「うまくいっているか or いないか」という感覚は、あくまでも本人だけが感じたり思ったりする主観の部分なんです。
ですから、周りから「あらあら…(大丈夫かしら?)」と思われている(これ、私です。笑)としても、本人が「うまくいっている!」(これも、私です。笑)と言えば、それはうまくいっているんです。
勘のいい方はお気づきかもしれません。
この「うまくいっているか否か」は、問う意味がないものなんですね。
本人が「Yes!」ならそれでいいという話なんです。他者がどうこういうことじゃないですし、他者に言う必要もないことなんです。
でもなぜ、ここに引っかかる人がいるのでしょう。
問いを変えます。
質問です。
Q1: 周りと比べて、うまくいっていなければいけませんか?
Q2: 周りと比べて、他の人はうまくいっているひとばかりだと思っていませんか?
本人の中で完結する言葉が、『周りと比べて』という枕詞がついただけで、いきなり、モヤッとした方はいませんか?
本人だけの話なのに他者と比べても…その答えに意味があるでしょうか?
比べる意味がないのですね…。
意味のない比較をしても、そこには回答はありません。その代わりに、自分の中にある他者との優位性ばかりを探し求めてしまう…ということにお気づきでしょうか。
そして、そこにもし優位性を感じたとしても、それも、本人だけしか分からないものですし、誰かに知らせる必要もないし意味もないものなんです。
だって、「私のほうが…」と思っても、相手は全くそんなこと考えていないのなら、ただの独りよがりってことですよね。
このように、自分の無意識下で苦しい比較の物差しを置いているケースは少なくないように思います。無意識なので本人は気づいていません。
でも、実は周りは気づいている…ということは多々あります。
これが、世の中でよくいわれている『マウント』というものなのだと私は思います。
マウントを無意識で行っている人も、
他者のマウント行為い気づいて傷ついたり、イライラする人も、
じつは、どちらにも心の中に自己完結できない、比較の物差しがあるから苦しいのではないでしょうか?
「わたしはわたし」
「自分は自分」
「よそのうちはよそ。うちはうち」
と昔から言われていますが、比較の物差しがなければ、そもそもそんな言葉も出てきません。
うまくいっていなければ…いけませんか?
うまくいっているかどうかを気にするよりも、
今の自分を好きですか?
自分のことを、今のままで満足、納得していますか?
の問いのほうがとても奥が深くて、大事な部分があるように思います。
私は、ココサポ・プログラムのシェアの時間がとても好きです。
参加者の皆さんといっしょに露天風呂?に入っているような気分。
ハダカになってすべてをさらけ出すような…。
そこには「うまくいっていなければ…」なんていう思いは微塵もありません。
ありのままの自分を出そう…話そう…ということに集中します。
だって「うまくいっているか?」なんて必要がないから。
そのまんまで十分、だれもがうまくいっているんです。
こんな面白い場所がココサポ・プログラムです。
心の重荷を好きなだけ下ろして、とことんダメな自分をさらけ出しても平気でいられる。生き方を尊重しながら、自分の中に浮かんだ問いを互いに向け合う、不思議で貴重な場所です。
現在、ACリプログラミングコース(受講経験者のみ)を開催していますが、ふたたび、ココサポ・プログラム ベーシックコースを開催しようと思っているところです。
ご興味のあるかたは、ぜひ!
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